横浜トリエンナーレ2014その3

横浜トリエンナーレ2014
会場:2014年8月1日~11月3日
会期:横浜美術館、新港ピア

第二章
釜ヶ崎芸術大学

それは、わしが飯を食うことより大事か?

それは、わしが飯を食うことより大事か?

釜ヶ崎とは大阪あいりん地区の別称です。
あいりん地区はいまだに日雇い労働者の多いちょっと不穏な地域です。
関西では釜ヶ崎という名称よりも「あいりん地区」や「西成」の方が名前としては有名ですね。
住んでいる方には申し訳ないですが、女性一人である国は昼間でも少し怖いイメージがあります。

そんな場所に釜ヶ崎芸術大学というNPO団体主催の大学があります。
主な勉強内容は
書道、音楽、天文学、詩、美術、お笑い、合唱、狂言、ダンス、写真・・・など多岐にわたるようです。
横浜トリエンナーレキュレーターの森村氏も関わっています。

今回は大学に在学している方たちの発表の場だったようです。
複数人の、もしかすると在学している方全員の作品が展示されていました。
作品は正直言って好みではなかったのですが、
西成に芸術大学を作ったという試みは非常に興味深いと思いました。

芸術というと、生活する上で不要なもの、お金のある方がするものというイメージがあります。
生きるための生活費を稼ぐために必死の方が数多く住んでいる西成で、この「お金持ち」のものを学ぶ学校を作る。
きっと皆さん最初は「何でこんなもんいかなあかんねん」って思ったでしょうね。
でも作品を見ていると、小学生の時に、図工の時間が待ち遠しくてわくわくした気持ちのような、そんな楽しい気持ちが伝わりました。

釜ヶ崎芸術大学ができる前とできた後で参加者の心にどのような変化が起こったか、調査していただきたいですね。

◆参考◆
釜ヶ崎芸術大学

チューリヒ美術館展 印象派からシュルレアリスムまで

「チューリヒ美術館展
印象派からシュルレアリスムまで」

会場:神戸市立博物館
会期:2015年1月31日~5月10日

そもそもチューリヒ美術館とはどこの美術館なのでしょうか。
正解はスイスのチューリヒにあります。
スイス芸術家の有名作品のほか、後期ゴシックやイタリア・バロックの名作、オランダ絵画、フランドル絵画から、フランス印象派絵画、表現主義絵画まで、各時代を代表するような巨匠の名画がそろっています。またそれと別に15世紀から現在までの素描や版画を集めた約8万点のグラフィック・コレクションや、写真やビデオ作品もあり、バラエティに富んだ作品を所蔵しています。

パンフレットに「巨匠いっき見!!」と書いているのですが、まさに有名芸術家を本展示で一通り見る事ができます。

作家数と作品数が多いので気に入ったものだけ紹介します。

1)ジョヴァンニ・セガンティーニ(1858~1899)
幼いころ、母が病死し、父に捨てられ、異母姉の冷遇の元で暮らしますが、天然痘にかかるなど、幼いころから非常に不幸な生活をしています。彼はイタリア出身ですが、結婚後、スイスに移住します。
印象派の技法を取り入れつつ、彼独自の方法で雄大なアルプスを描くなどほかの印象派とは少し違うタッチで描きます。

淫蕩な女たちへの懲罰

淫蕩な女たちへの懲罰

虚栄

虚栄

幼少期の不幸の連続、母親の不在が絵画に影響を与えているのがよくわかります。
母を題材にした作品、おどろおどろしい雰囲気をたたえた作品が数多く残されています。

スイスにはセガンティーニ美術館があり、スイスではかなりメジャーな存在のようです。

過去に大原美術館や静岡市美術館でセガンティーニ展を開催していたようですが、邦題が毎回違うのでご注意を。

2)オーギュスト・ロダン(1865~1925)
彫刻は今まで全く興味なかったのですが、この作品は全然違いました。作品の持っているパワーに圧倒されてしまいました。
著名人はオーラを感じるといいますが、まさにその感じです。
と、感動して調べてみるとなんとあの「考える人」の作者だったのですね。
まさか国民的認知度の高い作品の制作者だったとは。

考える人

考える人

ロダンは労働階級の家庭に生まれます。ロザンは遅咲きで生活の金銭を稼ぐのに精一杯でなかなか作品の制作ができませんでした。しかし、イタリア旅行でミケランジェロの彫刻を見てその情熱が再度燃え上がります。
その後制作した「青銅の時代」という作品が審査員の目に留まり、一気に知名度を上げます。晩年まで制作を続けていました。

殉教の女

殉教の女

静岡県立美術館にはオーギュスト・ロダン館があるので行ってみたいですね。
なぜ日本にそんなものがあるのだろうと思っていたら意外な点で日本と接点がありました。ロダンは第一次世界大戦前後までヨーロッパで活躍した女優、花子(本名は太田ひさ)をモデルにした彫刻を数多く制作しました。一人をモデルにした作品はこの方が最多です。東洋人の顔が珍しかったのかもしれませんね。

3)フェリックス・ヴァロットン
スイス出身のナビ派の画家。実験的要素の強い構図、展開をシュルレアリスムを予感させました。また、木版画はグラフィックアート界に新たな可能性を示しました。後世に影響を与えた人物です。

訪問

訪問

4)エドヴァルト・ムンク(1863~1944)
「叫び」で有名のムンク。幼少期から青年になった後も家族の死に直面しその不安、悲しみ、嘆きが作品にも表れています。自身もアルコール依存症を治すために精神病院に入院したことがあります。生まれ育ったノルウェーでは作品発表当初は酷評され続けます。しかし、30歳を過ぎてからベルリンやパリなどで評判を上げ、1908年にはノルウェー王国政府から聖オラヴ騎士章を授けられました。

ヴィルヘルム・ヴァルトマン博士の肖像

ヴィルヘルム・ヴァルトマン博士の肖像

ヴィルヘルム・ヴァルトマン博士はチューリヒ美術館の初代館長です。なかなかの男前ですね。

ちなみに他にはホドラー(同時期に兵庫県立美術館でホドラー展を開催しています。)、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルソー、ココシュカ、マティス、ブラック、ピカソ、シャガール、カンディンスキー、モンドリアン、ジャコメッティ、クレー、キリコ、ミロ、ダリ、マグリットなどが大御所たちが展示されています。

作品とは全然関係ないのですが、展示方法がいまいち・・・と感じました。作品はカテゴリーごとにセクションが分かれて展示されており、そのカテゴリーの解説もきちんとあるのですが、そのカテゴライズの仕方が気に入りません。
「ポスト印象派」「表現主義」「ムンク」「ココシュカ」など「○○派」と「人物名」を同カテゴリーでくくっているのです。
これでは各カテゴリーで完結してしまっていて、各セクションのつながりがなく非常に困惑してしまいます。

新印象派展を見に行ったときは、初めて新印象派を見る人にもわかりやすく時系列ごとに展示していた上に、印象派と新印象派の違いなど丁寧に解説していました。新印象派には期待せずに見に行ったのですが、すっかり好きになりました。

今回の展示も、個々で見ると非常に興味のそそられる作品ばかりです。しかし、ディレクションが上手くいっていないために、どの作品も印象が薄くなっているように感じます。作品自体が素晴らしいものばかりなので、何もしなくても集客できると絵の力に甘えているようにも取れました。

せっかく立地もいいですし、由緒ある建物で展示しているのでもうちょっと頑張ってほしいです。

◆参考◆
スイス政府観光局(チューリヒ美術館の紹介)
静岡県立美術館オーギュスト・ロダン館
フェリックス・ヴァロットン

日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」 フジフィルム・フォトコレクションによる

「日本の写真史を飾った写真家の「私の1枚」
フジフィルム・フォトコレクションによる」

会期:2015年1月10日~2月11日
会場:伊丹市立美術館

フジフィルム主催のコレクション展を見てまいりました。
会場は非常に狭いのですが、101点の写真が所狭しと並んでいます。
同時開催で宮武外骨氏の展示も行っていました。

この中で良かった写真をピックアップしていきます。
1)鋤田正義(1938年~)
「母」

鋤田正義_母

鋤田氏は主にドキュメンタリー、広告、映画、音楽のジャンルで活躍する写真家。デビッド・ボウイや忌野清志郎などの写真も手掛けています。そういえば、2014年に大阪ビックステップで写真展をされていたのを思い出しました。

2)石元泰博(1921~2012)
「シカゴ 子供 〈シカゴ、シカゴ〉より

石元泰博_シカゴ 子供

サンフランシスコ出身で戦時中は日系人用の強制収容所に入れられたり、と苦労された方のようです。強制収容所にいる間に写真に興味をもったそう。石元氏の父の故郷が高知県ということで高知県立美術館の中に石元泰博フォトセンターがあります。

海外在住が長いせいか、写真も日本人写真家というよりは海外の方が撮ったような写真です。と思っていると、シカゴ、ニュー・バウハウスが彼の写真の原点になっていると聞いて納得しました。

この写真のストーリーを考えるとわくわくしますね。

3)白簱史朗(1933年~)
「冬の農 箱根姥子」

日本の山岳写真家。残念ながらネット上でこの作品が見つからなかったので、山岳写真を掲載しておきます。

4)沢渡朔(さわたりはじめ)(1940年~)
「〈NADIA〉より」

沢渡朔_NADIA

沢渡朔氏は中学生より写真を始め、高校生の頃には「サンケイカメラ」誌に入賞するなど、早くから頭角を現した写真家。有名な作品に10歳のイギリス少女モデルを起用し、不思議の国のアリスをモチーフにした作品「少女アリス」などがあります。
イタリア人モデルのナディアをテーマにした写真集の表紙を飾っている作品が展示されていました。

5)江成常夫(1936年~)
「スラムのアパートの三人家族 7ストリート、東Ⅲ番地 NewYork 〈ニューヨークの百家族〉より)

中国残留孤児や原爆など日本の負の面を題材にしている写真家。残念ながらネット上で写真は見つけられませんでした。

6)秋山亮二(1942~)
「〈津軽聊爾先生行状記〉より」

秋山亮二

朝日新聞写真部を経てフリーカメラマンに。すごくユーモラスな写真で思わずくすっと笑ってしまいました。手前にいらっしゃるご年配の男性の表情が子供のようにきらきらしていて良いんです。今回の展示で一番好きな写真です。

7)長倉洋海(1952~)
「一人、山上で本を読む戦士マスード アフガニスタン」

時事通信社写真部よりフリーカメラマンに。主に紛争地域や辺境に暮らす人々の写真を撮っています。
マスードとはアフマド・シャー・マスードのことでアフガニスタンの政治家です。マスードは大の読書家だったそうで、読書にまつわる伝説を数多く残しています。そんなマスードの読書風景を捉えた写真です。山の草原に足を投げ出して本を読んでいるマスード。あたりは山以外何もない大草原。何が起こっても気が付かないんではないかと思うほど集中して読んでいる様子が伝わってくる写真です。

8)中村征夫(なかむらいくお)(1945年~)
「海軍コマンドに憑かれた男たち」

海の報道写真家。残念ながらネット上で写真が見つからなかった上に氏のHPでは海の生物写真がメインで掲載されているため、全然雰囲気が違います。ネットで見る事ができるかわいらしい写真とは打って変わった作品です。わたしの説明力のなさでうまく伝えられないのですが・・・。

9)普後均(ふごひとし)(1947年~)
「「暗転」シリーズより」

細江英公を師事。フリーカメラマンとして世界各地を飛び回っていたようです。

10)ハービー・山口(1950年~)
「GARAXY,London」

バービー山口_Galaxy

大学卒業後、ロンドンに渡り写真家として活動。ロンドンでの写真が評価されます。日本に帰国後は、日本のアーティストを中心に撮影。

11)佐藤時啓(1957年~)
「光ー呼吸 #275 Koto-ku Aomi」

佐藤時啓_光ー呼吸シリーズ_#284 Dojunkai Apartment

彫刻家を経て写真家になるという面白い経歴。鏡と長時間露光を組み合わせて作った作品シリーズ「光ー呼吸」のひとつです。
画質の良い展示作品を見つけられなかったので、それと近い写真を掲載しています。(タイトル「#284 Dojunkai Apartment」)

◆参考◆
石元泰博フォトセンター
長倉洋海公式サイト
中村征夫公式サイト
ハービー・山口公式サイト
佐藤時啓 画像

横浜トリエンナーレ2014その2

横浜トリエンナーレ2014その2
会場:2014年8月1日~11月3日
会期:横浜美術館、新港ピア

今回は横浜美術館しか観に行っていないので、
美術館内の各セクションで良かった作品をピックアップして取り上げていこうと思います。

第1話:沈黙とささやきに耳をかたむける横浜美術館
「黙っているものは情報化されずに忘れられていく。ささやきも耳をそばだてないと聞こえてこない。 しかし「沈黙」や「ささやき」には、饒舌や演説を凌駕する重みや強度が隠されている。 その重みや強度が芸術になる。」
アグネス・マーティン(Agnes MARTIN)
1912-2004。カナダ出身。
昔、国立国際美術館で見て覚えていたので取り上げました。
ミニマリズム、抽象表現アーティスト。
空間や対象、線などを絵画としての形態をなくすことで、ふわふわとした掴みどころのない絵。
形態のない作品を作ることで主題から絵画を解放そうとしました。

アグネス・マーティン_無題#10

ちなみにこの方、女性です。現代に近づくと女性アーティストが数多く出現するのはうれしいです。

マルセル・ブロータース(Marcel BROODTHAERS)
1924-1976。ベルギー出身。
とても不思議で数ある作品の中でも印象に残ったものの一つ。
詩人、映像作家。初期は短編映像を作るが、途中からコラージュやインスタレーションの制作など
手広く行っています。

ウィキペディアに掲載されていた彼の言葉が衝撃的だったので転載します。
これは彼の初めて展覧会で作られたカタログの序文です。

「私は、何かが売れて、人生に成功できないかどうか、散々思案した。
長い間、私は何もうまくいかなかった。
私は40歳になり、とうとう適当に何かをでっち上げるアイデアが浮かび、すぐにとりかかった。
3ヵ月後、私は出来上がったものをサン・ローラン画廊のオーナー、フィリップ・エドゥアール・トゥサンに
見せた。
彼は『しかし、こいつは芸術だよ。』、そして、『それなら、うちでこいつを全部展示しよう。』と言った。
『いいとも。』私は返答した。
もし、何かが売れればギャラリー側は30%を受け取る。いくつかのギャラリーの条件は普通75%のようだ。
こいつは何なのか?それは実際、作品だった。」

彼は1968年に現代鷲美術館というインスタレーション作品を制作します。そこでは美術館を破産させるために美術館そのものを「売却」しようとしたり、金塊を資金調達のために美術館に売りました。その金塊はアートとしてより金の市場価値を見越して値段がつけられたようです。

アートとは何なのでしょう。結局アートは商業ベースに乗らざるを得ない運命なのでしょうか・・・。
横浜トリエンナーレでは
「猫のインタビュー」
という作品を展示していました。
これはマルセル氏が愛猫に近年の絵画や美術についてインタビューする様子を録音した作品。
氏が真剣に猫に対して近年のアートについて質問しているのですが、
インタビューのお相手は何せ正真正銘の猫なので、返答はもちろん「ニャー」だけです。
「ニャー」と一口にいってもいろいろな「ニャー」がありまして、
「ニャーニャー」「ニャーニャーニャーニャニャー」などバリエーション豊富で
猫の鳴き声だけでこんなにも存在するのか、奥深いなあと感嘆します。

というのは冗談で、まさにウィキペディアから転載してたカタログの序文を形にした、現代アートを揶揄する作品だなと感じました
ミニマリズムとは?
哲学要素の強いアートの流れに逆らい、名前の通り最小限の芸術様式を用いたアート。本物の空間と素材に基づく。

◆参考◆
名古屋市立美術館(アグネス・マーティンに関する資料。PDF)
アート用語(ミニマリズムとは)

横浜トリエンナーレ2014その1

「横浜トリエンナーレ2014」
会場:2014年8月1日~11月3日
会期:横浜美術館、新港ピア

昨年横浜トリエンナーレに行ってきたのでその感想を数回に分けて書きます。

★横浜トリエンナーレ予備知識★

3年に一度、横浜で開催される芸術祭。2001年に始まりました。
ちなみに3年に一度開催される芸術祭を「トリエンナーレ」、
2年に一度開催される芸術祭を「ビエンナーレ」といいます。

前回と比較し、会場数が半分以下となっていました。
今年の存続が危ぶまれていたので、仕方ないのかもしれません。

アーティスティック・ディレクター
森村泰昌

展覧会タイトル
華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある

今回アーティスティック・ディレクターを務める森村氏は
ゴッホの自画像やマネのオランピアなど、有名な絵画に出てくる人物に氏が扮してセルフポートレートを撮ることで有名。
ちなみに氏は大学では写真学科ではなく、京都市立芸術大学美術学部を卒業しています。
氏が著書の本を昔読んだのですが、そこから型にはまらない現代アートの先陣を切るに相応しい人物な印象を感じました。

森村泰昌_1

森村泰昌_2
今回の展覧会タイトルはレイ・ブラッドベリ作のSF小説『華氏451度』に由来しています。

『「忘却」とは、記憶されざる記憶がたまりこんだ、ブラックホールとしての記憶のことである。』
『世界(宇宙)は、そのほとんどが「忘却」のブラックホール(あるいは、広大で奥深い海)によって満たされている。それに比べれば、記憶世界など「忘却の海」に浮かぶちっぽけな島にすぎない。』(ヨコハマトリエンナーレHPより)

展示を通じて「記憶されざる記憶」がたまった「忘却の海」に思いを馳せ、漂流する旅を体験する、というもの。

2011年に初めて見に行き、非常に面白くて今回また見に行ったのですが、
率直な意見をいいますと、かなり期待外れでした。
好みの作品が少なかったのというのもありますが、
テーマが難解だったのが原因かなと。
ぱっとみてわかる作品が少なく、どれも考えさせられるものばかりでバランスが取れていないといいますか・・・。
このようなフェスティバルは普段美術館に行かない方も多く来場されると思うので、
わかりやすい作品と奥深い作品と両方混ぜた方がいいのではないかな、と感じたのです。
他の方はどう思ったかわからないですが、次回は見に行かないかもしれません。

次回に続きます。

アトラス

ゲルハルト・リヒターの本「アトラス」を読んで

ゲルハルト・リヒター_アトラス

ゲルハルト・リヒター(1932年2月9日-)
ドイツ最高峰の画家と言われている。
彼は初期の頃から写真の模写を行い、写真の一部、あるいは全体をぼかす「フォト・ペインティング」と
呼ばれる絵を描いている。
その絵を描くために、彼は膨大な写真コレクションを作っており、
それを「アトラス」と呼んでいる。

この本は主にフォト・ペインティングとアトラスに言及した内容です。
本を読んで氏について学んだことを書いていこうと思います。

ゲルハルト・リヒター

Betty

Betty

1)彼はなぜ写真を模写するのか。
彼はなぜ写真を模写するのか。
写真を模写するならば写真そのものを作品とすればいい。
アトラスを制作するにあたり、素材を彼自身が撮影することも多いので、
写真をそのまま作品にすればいいじゃないか。絵にこだわる理由とは何なのか。
このような疑問を持ちながら本書を読み進めていました。

写真が登場して今まで絵画が持っていた記録的要素は写真に取って代わられました。
写真はより真実で絵画は人工、作り物になってしまいました。
では絵画で真実を作り出すにはどうすればいいのか。
それは真実である写真(ゲルハルトリヒター氏「写真はもっとも完璧な絵画である。」)を
手本にして書き写すしかない。というわけだそうです。
また、絵画だとどうしても主観が入ってしまいます。
客観的に真実を写し取るために、絵の元となるアトラスもできる限り客観視できるように工夫していたようです。

残念ながら、そこまで彼が写真ではなく、絵画にこだわる理由は本書からはわかりませんでした。

1024Colours

1024Colours

2)彼にとって「アトラス」とは。
「リヒターの《アトラス》は、写真と、写真
にまつわる多種多様な実践を、イデオロギー的支配をおこなうシステ
ムとして、さらに正確に言えば、集団的な没価値状況、健忘症、抑
圧を社会に刻印する道具のひとつとしてとらえていたように思える。」
ベンジャミン・H.D.ブクロー 本書 P82

アトラスは新聞の切り抜きや素人写真の集合体ですが、
曖昧で抑圧された記憶に刻印をするように収集されています。

ちなみに「アトラス」は16世紀以降に地理的、天文学的な知識を集めて整理した本の形式を指すそうです。

Reading

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confrontation1

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candles

candles

Abstract Picture

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他にもいろいろ書いてあったのですが、全て書くと読むのが飽きちゃうくらい長い記事になりそうなので
ここまでにしておきます。
しかし、非常に哲学的な内容で最後の方は理解できない部分がありました。
また、西洋の歴史に触れて書いている場所もあったので、世界史を勉強してから読み直すとより面白いと思います。
また数年後、リトライしたい本です。